神戸地方裁判所 昭和30年(わ)154号 判決 1958年2月25日
被告人 吉沢万治郎
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実の要旨は、
(一) 本位的訴因
被告人は、肩書住居において酒類販売業を営んでいる者であるが、近来著しく営業不振に陥り、借財のみ嵩まるに至り、これが打開策につき懊悩苦慮した挙句、予ねて伊丹市口酒井向八の八の一番地所在自己の所有する木造瓦葺二階建空家一棟及びこれが内部の動産につき、日動火災海上保険株式会社との間に、金額二百万円の火災保険契約を締結してあつたので、右建物に放火してこれを焼燬し、もつて右保険金を取得せんことを企て、昭和三十年一月十六日午後五時頃前記家屋六畳の間において、畳の上に七百五十ワツトの電熱器を置き、その周囲に藁、新聞紙等の可燃物を置いて電熱器をつけ、右電熱器の過熱により前記可燃物を燃焼させて右家屋に燃え移らせ、もつて現に人の住居に使用しない前記建造物に放火し、これを全焼するに至らしめて公共の危険を生ぜしめたものである。
(二) 予備的訴因
右本位的訴因の事実中放火方法につき「畳の上に七百五十ワツトの電熱器を置き、その周囲に藁、新聞紙等の可燃物を置いて電熱器をつけ」とあるを「畳の上に電熱器を置き、なおその下に藁を若干量敷き通電し」と訂正する外右本位的訴因と同一である。
というのである。
よつて証拠を検討するに、
一、(一)、第十三回公判調書中証人西川又夫の供述記載、裁判所の証人橋本菊雄、同氏田稔、同荒木隆雄、同梶山とみゑ、同梶山とみに対する各尋問調書、神戸地方法務局伊丹支局長作成の建物登記簿謄本、被告人の検察官に対する供述調書及び司法警察員作成の検証調書によると、伊丹市口酒井字向八の十一番地(起訴状に向八の八の一番地とあるは誤記と認める)所在の被告人所有にかゝる木造瓦葺二階建空家一棟建坪二十七坪位(以下単に本件家屋と略称する)が昭和三十年一月十六日午後十一時頃火災のため全焼したこと、本件出火発見当時、火は屋内内部よりもえ出るのが目撃せられ、かつまた、検証の結果同家屋内部がその外囲に比し、焼燬の程度が深く、殊に奥六畳の間においてその焼燬の程度が著しい点より、同家屋の出火地点は奥六畳の間と推測されること、右奥六畳の間跡より出火の原因となりうるものとして、七百五十ワツトのニクロム線を二段巻にした千五百ワツトの電熱器一個(証第十八号の一部)と多量の畳以外の藁灰が発見されたことが認められる。
(二)、西浦建治、寺下豊の司法巡査に対する各供述調書によると、本件家屋に電気設備をしたのは昭和二十二年七月頃であるが、同二十八年五月三十一日廃止の申込があつたので、メーター(積算電力計)を取外し、その後同二十九年七月五日被告人の申出により、再びメーターを取付け送電していたところ、同年八月十九日廃止の届出があつたので、再びメーターを取外し、送電を中止したものであるが、屋内送電用の電線は切断しなかつたので、屋内配電板の送電側電線の先端まで電気が通じており、配電板上の送電側電線の先端と屋内配線側の電線の先端を接続すれば電気は屋内において使用できる状態にあつたことが認められる。
(三)、本件焼跡より発見された千五百ワツトの電熱器(証第十八号の一部はそれの毀れたもの)は、警察技師土肥幸弘作成の鑑定書(第九十九号)によれば、故障破損の痕跡はなく、本件火災以前においては充分使用可能のものであつて、本件火災当時二段調節用切換スイツチがそう入、若しくはそう入された痕跡を示しており、全容量の千五百ワツトが接続されうる状態にあつたこと、右電熱器の支持台及び遮断板はアルミニユム製であつて溶解し、その溶融塊に炭化した木片及び藁が無数に附着していたことが認められる。
(四)、第十三回公判調書中証人西川又夫の供述記載によると、同人は電気の仕事を二年七ヶ月して来た者であるが、風のない湿り気のない、そして長く空家になつていた本件家屋では漏電は考えられない旨述べている。
以上(一)乃至(四)の各事実を綜合すると、本件火災当日引込線と屋内配線とが結びつけられていたかどうかについては証拠上明らかでないのであるから、他の放火方法が考えられないこともないが、右の各事情、特に本件空家の六畳の間の中央から、使用されていた疑のある電熱器が発見されたことなどから考えると、特別の事情のないかぎり、何人かが本件家屋の引込線と屋内配線とを配電板において結線して通電させ、同家六畳の間に前記千五百ワツトの電熱器を装置して、その周囲、またはその下に藁をしき、これに通電してその過熱により発火させ、本件家屋に延焼させた疑が相当大であるといわねばならない。
二、そこで本件家屋の所有者である被告人が右出火に関係があるかどうかについて考える。
(一)、先づ被告人に放火すべき原因動機が考えられるかどうかについて、
(1) 被告人の検察官に対する供述調書、田坂二郎の司法警察員に対する供述調書、浅井栄吉の司法巡査に対する供述調書、被告人名義の火災保険契約証写、押収の火災保険契約証一枚(証第七号)によると、本件家屋は昭和二十二年の建築にかゝるものであるが、その評価額は当時の金額にして十四、五万円、昭和二十八年頃の時価で四十万円相当のものであつたに拘らず、同年十一月一日本件家屋に二百万円の火災保険を付け、翌二十九年十一月一日右保険契約更新の際、本件家屋に百五十万円、同家屋内商品に五十万円の火災保険を付けていたこと、消防司令補の被告人に対する聴取書(写)によれば、本件火災当時同家屋内には商品としては、合成酒十二、三本(一升瓶)醤油樽四斗入空樽共十二、三樽、瓶詰醤油四、五十本、空一升瓶二百本位等が存在したにすぎないことが認められる。
(2) 被告人の司法警察職員に対する各供述調書、吉沢慶七、吉田八十七、吉沢由太郎、秋月元吉、沢田耕治、大前大二、佐藤喜久平の司法警察員に対する各供述調書、吉沢慶七、安田きわ、吉沢秋治、十倉あい子、上田駒市、石谷友治郎、甲田豊一、大前大二、大内敏之、武部清一の司法巡査に対する各供述調書、松田武の司法巡査に対する供述調書二通、甲田豊一作成の請求書、尼崎信用金庫塚口支店長作成の「預貯金の調査に関する回答」と題する書面を綜合すると、被告人は高等小学校二年卒業後、父の農業の手伝、兄の酒類販売業の手伝などした後、昭和十二年頃から酒類、醤油小売業を始め、同二十二年頃本件家屋に移り、更に同二十八年四月頃現住所に移転して酒類等の販売業を続け、現在に至つたものであるが、近来営業不振のため借金が嵩み、本件火災当時尼崎酒販株式会社に対し二十七万円余、尼崎信用金庫に対し十三万円、伊丹酒販株式会社に対し約三万円、甲田商店に対し三万七千円、親戚より十五万円、その他五万円等合計六、七十万円の借金があり、度々その返済の請求をうけ、その支払並びに経営資金入手のため被告人が相当苦慮していたことが認められる。
(3) 長沢こもとの司法警察員に対する供述調書によると、本件家屋の敷地の所有者である長沢こもとより本件家屋が空家になつてから屡々右建物の撤去並びに土地明渡を要求されていたことが認められる。
(二)、本件出火当日の被告人の行動について、
被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法巡査に対する昭和三十年一月十九日附供述調書、消防司令補の被告人に対する聴取書(写)、第三回公判調書中証人五百路司の供述記載、吉沢忠の司法巡査に対する昭和三十年二月六日附供述調書、及び吉沢与子の司法警察員に対する供述調書によると、本件出火当日である昭和三十年一月十六日被告人は朝食後口酒井にある本件家屋の戸の破れを直してくると云つて金槌をもつて自転車で出かけ、途中集金などに立寄つた後午後二時頃本件家屋にいたり、空家の表入口の鍵を外して戸をあけ、そこから自転車を土間に入れ、炊事場の押入れにあつた釘を使つて裏入口の戸を修繕し、厳重に戸締して表入口の鍵を掛け午後五時頃右空家を出たこと、帰る途中五百路巡査に会い一緒に話しながら午後六時頃帰宅したことが認められる。
(三)、時間的に一致するかどうかについて、
消防司令中村三苗作成の鑑定書によれば、床板上にしいた畳の上に千五百ワツトの電熱器を装置し、その周囲を藁等で囲つた上右電熱器に通電するとき、その過熱によりその床板を焼燬する所要時間は、気象状況、電熱器周囲の藁の量、藁の置き方、畳、床板、藁の含水量及び材質、電熱器の熱板、遮熱板と畳との相互の距離関係、電圧、電流、室内及び床下の通風状態等により多少の相違があるが、通電後畳を焼燬して床板が焔を出して燃える迄の所要時間が五時間以上十五時間以内で、藁十把程度以上で電熱器の周囲に接着して囲んでおけば、電熱器通電後三時間乃至十時間で電熱器熱板下部の畳に着火し、畳の表面が燻焼拡大して漸次電熱器周囲の藁に着火するのが通常であることが認められる。従つて仮りに被告人が当日午後二、三時頃本件家屋に入り、午後四時乃至五時頃千五百ワツトの電熱器を六畳の間に装置して通電させ、同日午後十一時頃出火させたとしても時間的には可能であると考えられる。
(四) 空家になつてから本件家屋内で被告人が電熱器を使用していたかどうかについて、
受命裁判官の証人岡貞、同岡春子に対する各尋問調書、岡貞の検察官に対する供述調書、吉沢忠の検察官に対する供述調書、吉沢忠の司法警察員に対する供述調書(二通)、吉沢与子の司法警察員に対する供述調書によると、本件家屋が空家になつてから電気会社の人がメーターを外して帰つたが、その後被告人がメーターのあつた処で送電側の電線と屋内配線側の電線を内密につなぎ、田圃の仕事に行つた時千五百ワツトの電熱器に電流を通じてお茶を沸かしたことがあり、また昭和二十九年六月より同年八月まで本件家屋を借り受けた岡貞夫婦が最初この家に移つた時も、メーターが取外されていたので、被告人が送電側電線と屋内配線とをつないで右電熱器に電流を通じ、湯を沸かしてやつた事実が認められる。
(五)、被告人が放火を計画していたことがあるかどうかについて、
第十回及び第十二回公判調書中証人家高治男の供述記載、家高治男の検察官に対する供述調書によると、右家高治男は、被告人が保険金詐取の目的で放火を計画し、放火の方法について屡々家高に相談し、また種々な方法を研究実験していた旨述べている。例えば、(イ)、空家の二階の天井裏の電線を切つて漏電にしてみる方法や、ガソリンを茶瓶に入れコンロにかけて放火する方法を考えてみた旨被告人が話していたと述べたり、(ロ)、点火と出火との間に相当時間を要する方法としてローソクによる放火を考え、ローソクに目盛して時間を測定実験していたのを見た旨述べている。
(六)、本件出火前後における被告人の行動及び態度について、
被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法巡査に対する昭和三十年一月十九日附供述調書、第三回公判調書中証人五百路司の供述記載、第四回公判調書中証人上田隆、同大野盛義の各供述記載、第五回公判調書中証人杉本祐一の供述記載、吉沢忠の検察官に対する供述調書、裁判所の証人氏田稔、同荒木隆雄に対する各尋問調書によると、被告人は昭和三十年一月四日頃、同月九日頃、同月十一日頃平素は田圃に置いたまゝ売つている稲藁を空家に取入れたこと、同月十六日の出火当日電熱器を持つて帰ろうと思つて出しながら結局台所の板の上に置いたまゝ帰宅したと述べていること、出火当夜火災の報せを受けた時も、また火災現場に臨んでも被告人は終始落着いていたことが認められる。
(七)、被告人の供述について、
(1) 被告人は本件犯行を否認しているが、その供述がそのまゝ措信しうるかどうかについて、被告人の当公判廷における供述、第二回乃至第十七回公判調書中被告人の供述記載、被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察職員に対する各供述調書を検討するに、
(イ)、被告人は、終始、本件家屋が空家となつてからメーターを取外されたので屋内に電流を通じ電熱器を使用したことはないというけれども、前記(四)列挙の各証拠によれば、被告人がメーターを取外された後メーターのあつた個所で電線を内密につなぎ、屋内に電流を通じ、電熱器を使用してお茶を沸したことが認められ、前記吉沢忠、吉沢与子はいずれも被告人の子供であつて、同人等が特に嘘を供述しているとも思えず、この点に関する被告人の供述は措信しがたいものである。
(ロ)、被告人は消防司令補、司法警察職員、検察官の前では本件火災当日午後三時頃本件家屋に入つて戸締を厳重にしたと述べながら、公判廷では、当日戸を外から修理したが、内部には入らなかつたと弁解するけれども、金槌を用意して戸締を厳重にするためわざわざ出掛けながら外から修繕しただけで屋内に入らなかつたというのは極めて不自然な弁解である。この点に関する限り前者の供述が真実に合つているものと認められる。
(ハ)、被告人は、後述するように、本件出火は家高治男の放火によるものであると主張し、司法警察職員や検察官の面前では家高が放火をすゝめたり、或は放火を企てたりしたかのように詳細に述べているが、家高に関する供述部分についてはその後訂正したり、或は取消したり、或は不自然だと思われる点が少くない。例えば、家高が「あの家を焼けば金が出るではないか、私が焼いてあげませうか」と言つたとか、或は家高が昭和二十九年十月頃本件空家でガソリンを入れた茶瓶を電熱器の上に置き、これに通電させ放置して来たが家が焼けたという通知はなかつたかと言つて来たと述べながら、その後それを取消したり、或は又家高から右の放火準備をして来たと聞きながら四日目に漸く同家に行つたが、その時電熱器は真赤になり茶瓶の底にオイルが盃に一杯位残つていたと述べ、極めて不自然且つ作為的な供述も見られる。
(2) なお吉沢慶七、吉田八十七、吉沢由太郎の司法警察員に対する各供述調書、吉沢秋治の司法巡査に対する供述調書、松田武の司法巡査に対する供述調書(二通)によると、昭和二十九年四月頃被告人は他人から金を借りるため、勝手に他人の名前と判を冒用して保証契約書を偽造し、これを使用して相手を欺し金を借りようとして発見された事実が認められる。
右(1)、(2)の諸点から考えると、被告人の供述は多くの虚言と思われるもの、相矛盾したもの、或は不自然なものが見られるので、そのまゝ措信しえないことは明らかである。
以上一及び二の(一)乃至(七)の各事実を綜合して判断すると、被告人には放火すべき相当の理由があり、しかも本件出火当日の午後三時頃本件家屋に入つているのであるから、特段の事情がなければ、被告人が本件家屋に入つた際、引込線と屋内配線とを配電板の個所附近で結線して屋内に通電させ、奥六畳の間に千五百ワツトの電熱器を装置して、その周囲又はその下に藁等を置き、これに通電してその過熱により発火させ、本件家屋を焼燬したものであると一応推定することも、あながち無理であるとは言えないであろう。
三、しかしながら、被告人は、警察署、検察庁、公判廷において終始本件犯行を否認し、かえつて本件出火は家高治男の放火に基くものであると主張するので、この点につき更に検討を加えるに、被告人の供述によれば、家高が放火を勧奨し、或は放火を準備し、家高から出火当日一か八かの仕事をして来た旨聞いたと述べているが、家高に関する供述部分がそのまゝ措信しえないこと前述のとおりであるけれども、家高自身の供述が措信しうるものであるかどうか、或は家高が本件出火に関係あるかどうかについては、十分慎重に検討する必要がある。
(一)、家高治男の供述について、
(1) 家高治男の検察官に対する供述調書、第十回及び第十二回公判調書中証人家高治男の供述記載によると、家高は被告人から同人が当時百五十万円位欲しいといつていたとか、同人から保険金騙取の目的で放火する方法につき屡々相談を受けたとか、被告人が色々の放火方法を研究実験していたとか、アリバイについて困つていたとか、右記載には被告人にとつて極めて不利益な供述に満ちているけれども、これら具体的な事実についてこれを裏付けるに足る証拠は何ら存在しない。例えば家高は被告人がローソクに目盛して燃焼時間を測定していたといい、ローソク一本が押収されているが、このローソク(証第十六号)は家高供述のローソクより少さく且つ目盛もない全然別個のものである。
(2) 家高の右各供述の中には他の証人の証言と矛盾する部分がある。例えば家高は昭和三十年一月十七、八日頃同人の妹から本件火災の記事が市役所の新聞に出ていたと聞いて本件火災を知るに至つたと述べているが、第八回公判調書中証人家高喜代子の供述記載によると、家高治男にそのような話をした覚えはないと述べ、同女が特に嘘を云つているとも思われない。
(3) また家高の供述によると、家高は被告人に対し本件火災前は勿論、火災後も屡々、しかもしつように金の無心をしているが、その理由について或は被告人のために使い走りをしてやつたから当然であると云つたり、或は被告人の弱点を握つているからと答えたり、その理由は不可解であり、むしろ不自然な弁解であると見られぬことはない。
(二)、家高治男の人物及びその行動について、
(1) 被告人の司法警察員に対する各供述調書及び第十回、第十二回各公判調書中証人家高治男の供述記載によると、昭和二十九年十一月頃家高が被告人を欺して借りうけた腕時計を無断で入質したこと、翌三十年十月頃他人の金を横領して神戸地方裁判所伊丹支部で懲役六月、三年間執行猶予の裁判を受けた事実が認められる。
(2) 被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察職員に対する各供述調書、第十回及び第十二回公判調書中証人家高治男の供述記載、家高治男の検察官に対する供述調書によると、被告人は家高の世話で本件火災保険契約を結んだのであり、且つ被告人と家高とは当時親しくつき合つていたことが認められるのであるから、被告人が本件家屋に莫大な保険をつけていることは家高の知つていたところであると考えられるし、また被告人が借金の返済及び経営資金必要のため金を欲しがつていたことも知つていたことが窺われる。
(3) 第五回公判調書中証人滝内政治の供述記載、第八回公判調書中証人隅本久子、同家高修三の各供述記載、第九回公判調書中証人家高喜代子の供述記載によると、家高治男は昭和二十九年九月頃勤務先をやめ、翌三十年七月頃まで失業し、本件火災当時は生活費に困窮していたことが認められる。
(4) 家高治男の検察官に対する供述調書、第十回、第十二回公判調書中証人家高治男の供述記載、被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察職員に対する各供述調書、第五回公判調書中証人滝内政治の供述記載、第八回公判調書中証人隅本久子の供述記載によると、家高は被告人から金を借りたことがあり、屡々その返済の請求を受けていたこと、本件出火後も数回に亘り、被告人に対し金の無心を続けていたことが認められる。
(5) 第十回公判調書中証人家高治男の供述記載及び佐藤喜久平の司法警察員に対する供述調書によると、家高は被告人と共に本件空家に行つたことが数回あり、家屋内部を知悉していると認められること、殊に家高は被告人から本件家屋を担保に金をかりてくれと頼まれ、昭和二十九年八月頃本件家屋を見せるため佐藤喜久平を案内し、戸締してある本件家屋の雨戸を外して勝手に屋内に入つたことが認められる。
(三) 家高治男の立場について、
家高治男の検察官に対する供述調書、第十三回公判調書中証人西川又夫の供述記載によると、司法警察職員が本件放火容疑で被告人を取調中、家高が放火したにちがいないと被告人が申立てるので、家高をも本件放火の嫌疑で逮捕取調べたところ、家高は放火の覚えがないと言い、更に深く追及すると、同人は、被告人以外に犯人は考えられない、事実被告人の自宅でローソクを灯して燃焼の時間を測定し、放火方法の実験をしていたのを見た等供述するに至つたことを認めることができる。この事実と、第十回及び第十二回公判調書中証人家高治男の供述記載、家高治男の検察官に対する供述調書、被告人の当公判廷における供述、第二回乃至第十七回公判調書中被告人の供述記載、被告人の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察職員に対する各供述調書を綜合して考えると、家高も被告人と同様本件犯罪の被疑者として取調べを受けるに至つたが、両者は互に相手を真犯人呼ばわりし、あたかも相手が本件放火を企てたりしていたのを見聞したかのごとく述べて、両者の供述が全く相矛盾し、相対立していたこと、したがつて、被告人が本件放火の容疑者として起訴せられるか否かは、家高にとつて極めて利害関係の深い立場にあつたことがうかがわれる。
ところで、同一事件につき逮捕せられた被疑者より真犯人だと指摘せられて、同じく被疑者として逮捕せられ、取調べを受けた者が、逆に先の被疑者こそ真犯人であると弁解して、その者に極めて不利益な供述を詳細且つ具体的にしながら、それらの供述を裏付けるに足る証拠がないのみならず、却つてその供述の中に、虚偽、或は、不自然と思われるような供述も含まれる場合には、特別の事情のないかぎり、その供述は措信すべきではないと解するのが相当であるところ、右(一)乃至(三)の諸事実から考えると、前記家高治男の供述中被告人に不利益な部分については、家高が自己の容疑を免れるため、むしろ被告人にこれを転嫁しようとしてことさら同人に不利益な事実を作為的に述べた疑が濃いのであるから、家高の供述は軽々しく措信すべきではないと解するのが相当である。したがつて前記二の(五)の家高の供述にかゝる事実についてはこれを認めることができないといわねばならない。
四、(一)、ところで前述のとおり、被告人が本件出火当日、本件家屋を出たのが同日午後五時頃であり、出火したのが同日午後十一時頃であるから、その間に被告人以外の何人もこの家に立入らなかつたと断言しうるであろうか。成程被告人は戸締りを厳重にして帰つたかもしれないけれども、本件家屋は空家にして特に看守していた人がいたわけでもない。第五回公判調書中証人杉本祐一の供述記載によれば、同人は当日午後六時頃と午後九時頃本件家屋の前を通つたが本件家屋の異状の有無についてはなんら気付いていない。殊に司法警察員作成の検証調書には、表出入口は完全施錠状態で大型南京錠が発堀せられ、西側出入口にも差込金具を差したまゝの戸締り用金具が発堀され、裏出入口である便所前の出入口には受金具及び差込金具の装置したものが発堀され、完全施錠されたことが認められるに反し、東側出入口では戸締り用の受金具のみで差込金具は発見されなかつたと記載されている。これらのことからすれば被告人以外の誰かがその時刻に出入りしたと考える余地がないとはいえない。
(二)、更に、吉沢与子の司法警察員に対する供述調書、吉沢忠の司法巡査に対する昭和三十年二月六日附供述調書によると、被告人は本件火災当日、本件家屋に出掛けた時も、夕方本件家屋から帰宅した時も、平常と変つた様子はなく、いつものように夕食後子供の勉強をみてやつたことが認められる。とすると、本件のような大罪を犯した直後としては、余りにも落着いた態度にも見受けられる。
(三)、被告人が本件家屋に莫大な保険金をつけていたとか、或は多額の借金を負つていたからといつて、常に放火の目的乃至放火の意思があつたと認めるわけにはいかない。また本件家屋に藁を取入れていたとか、電熱器をもつて帰らず空家に置いていたことも、何等放火の目的ではなく、偶然そうなつたという場合も考えられる。更に本件火災当時被告人が落着いていたことも悪意にも善意にも解釈されうる余地がある。
(四)、被告人の供述には極めて不自然な弁解や、支離滅裂の供述が少くなく、そのまゝ措信しえないことは前述のとおりであり、あたかも被告人が真犯人でありながら、ことさら否認を続け、無駄な弁解を重ねているごとく見えるが、これも被告人の長い拘禁状態より来る特殊の心理状態に基因すると見られぬこともない。
五、以上一から四までの各事実を綜合して考えると、被告人には、放火の動機と考えられる事情があり、被告人こそ本件放火の犯人ではないかという疑は相当あるけれども、放火方法並びに本件家屋に被告人以外の者が入らなかつたかどうかについて疑があり、その他の諸事情を考えあわせても、本件を被告人の放火であると断定するには未だ証拠が不充分であるといわねばならない。
してみると、本件公訴事実は結局犯罪の証明が十分でないという事に帰するから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人に無罪の言渡をなすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 石丸弘衛 栄枝清一郎 武田正彦)